喪
7月4日
今日は、チームMimatyの一員でもあり、
高校の同級生でも有る、ニナニナのお母さんのお通夜に、キャプテンゆうすけ・最年長あいざわさんと共に出席、現地ではクリとも合流。
3日の朝方亡くなったらしい。。
俺等も自分の親が亡くなってもおかしくない歳になったんだな~と、改めて実感させられた。
ニナニナのお母さんと言えば・・・
高校3年の夏、
我が津久見高校は、藤蔭高校戦に敗れ、短い夏を終えた。
その試合、ニナニナはエラーをした。
それまで、攻守に渡りチームを支え、引っ張って来たニナニナが。
しかし、誰も彼を責めなかった。彼がいなければここまで来れなかった事をみんな知ってるから。。
と、ココまでの話は、他の部員から聞いた話。(当然、私ミマティーは野球部じゃないんで・・・)
そして、
残りの夏休み中に、進路決めの為の三者面談が有った。
当時の津久見高校は、二つ上の川崎さん世代が甲子園を沸かせた為、全国的にも名が売れており、バブル景気の真っただ中という事も有り、今では考えられないほどの求人が有った。就職には困らない時期でした。
進学を考える生徒に対し、先生方も「中途半端な大学行くより、今、津久見高校から就職する方が、よっぽど楽ぞ~」と言ってた程です。
その三者面談の日が、私ミマティーとニナニナは偶然一緒だったらしく、今は亡き母親と現れたニナニナに合った。
当然少し元気がないニナニナと、
何も気にしてない私ミマティー、普通の挨拶を交わしたはず・・・。
その横で、
「すいません、すいませんでした。」と頭を下げるニナニナの母。
廊下ですれ違う生徒や先生、皆に、
「すいません、すいません・・・」
そんな~、気にせんでも~!て、当時は簡単に思ってたと思う私。
今思えば、
期待された選手の重圧、そしてその母も受けた重圧、そうとうなものだったんでしょう~?
そして、子を思う母の気持ち。。
これが唯一のニナニナ母の私の思い出。
心よりご冥福をお祈り致します。
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