ミマティー

2012年07月05日 22:58

7月4日
今日は、チームMimatyの一員でもあり、

高校の同級生でも有る、ニナニナのお母さんのお通夜に、キャプテンゆうすけ・最年長あいざわさんと共に出席、現地ではクリとも合流。

3日の朝方亡くなったらしい。。

俺等も自分の親が亡くなってもおかしくない歳になったんだな~と、改めて実感させられた。



ニナニナのお母さんと言えば・・・

高校3年の夏、

我が津久見高校は、藤蔭高校戦に敗れ、短い夏を終えた。

その試合、ニナニナはエラーをした。

それまで、攻守に渡りチームを支え、引っ張って来たニナニナが。

しかし、誰も彼を責めなかった。彼がいなければここまで来れなかった事をみんな知ってるから。。

と、ココまでの話は、他の部員から聞いた話。(当然、私ミマティーは野球部じゃないんで・・・)

そして、

残りの夏休み中に、進路決めの為の三者面談が有った。

当時の津久見高校は、二つ上の川崎さん世代が甲子園を沸かせた為、全国的にも名が売れており、バブル景気の真っただ中という事も有り、今では考えられないほどの求人が有った。就職には困らない時期でした。

進学を考える生徒に対し、先生方も「中途半端な大学行くより、今、津久見高校から就職する方が、よっぽど楽ぞ~」と言ってた程です。

その三者面談の日が、私ミマティーとニナニナは偶然一緒だったらしく、今は亡き母親と現れたニナニナに合った。


当然少し元気がないニナニナと、

何も気にしてない私ミマティー、普通の挨拶を交わしたはず・・・。

その横で、

「すいません、すいませんでした。」と頭を下げるニナニナの母。

廊下ですれ違う生徒や先生、皆に、

「すいません、すいません・・・」

そんな~、気にせんでも~!て、当時は簡単に思ってたと思う私。

今思えば、

期待された選手の重圧、そしてその母も受けた重圧、そうとうなものだったんでしょう~?


そして、子を思う母の気持ち。。




これが唯一のニナニナ母の私の思い出。


心よりご冥福をお祈り致します。

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